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2006年9月

沖縄で思ったこと

この夏、私は生まれて初めて沖縄に行った。

(実は北海道にも行ったことがないんだーかわいそうなんだー)

 ごはんがおいしくて(食べまくってしまった)、海もきれいで、人があったかくて、すごくすてきな場所だった。

 でも、正直地元(田舎です)と変わんないな~とも思ったし、ネパールの方が興味深い(interestingが適切か)な~と思った。

 なんでネパールのんが興味深かったかというと、何か、沖縄はリゾートちっくだったから。それだけ。

 私は今回、那覇も石垣も見たけど、波照間とか竹富とかの離島と呼ばれる所も見てきた。(離島巡りの旅だったから)
 
 那覇や石垣はもちろん、波照間とか竹富は、私の予想よりdevelopedでした。(所々英単語できもくてごめんなさい。でも英語のんがしっくりくるでしょ。)
 私の想像が膨らみすぎてたんか知らんけど、民宿とかがいっぱいあって、、何か、自然を食い物にしてる様に感じられた。それは、その島に住んでる人らからしたら当たり前やし、他に仕事がないからそれをするなって方が無理な話やけど、私はもっともっと自然そのままかと思っててん…テント張るしかね~みたいな。
 まあでも、よく考えたら離島ってだけで、無人島じゃないわけやし、そこにはそこの生活があって、勝手によその人が集まってるだけやから全然島の人たちは悪くないんやけど)


とにかく、私は沖縄で、「観光業で食べてる人たち」をたくさん見た。
きっと、サトウキビとか、パイナップルとかの農作物と、観光業がほとんどの収入源やと思うねんけど、なんか、せっかく自然いっぱいの所に住んでるのに、それを食い物にするのって、悲しいやろうな~って思った。だって、自分たちが生まれた大切な島に、マナーの悪い人も含めた観光客がいっぱい来て、自分たちの生活を乱すわけでしょ。嫌やん。でも、それしか食ってくすべがないんやろな~って思ったら、なんか悲しくなった。

 聞くところに寄ると、沖縄の人たちは、もっともっと観光事業を発展させたいみたい。でっかいリゾートホテルとか建てて、お客さんを増やしたいみたい。
 それに不満を持ってる人たちは、主に観光客や、島に移住してきた人たち。その人たちは島を愛していて、自然いっぱいの、あったかい沖縄が好きなんだと思う。だから、ホテルなんて、邪道だ!って思うんだと思う。
 でも、それはエゴだと思う。そんなことしてたら生きていけないんやと思う。沖縄は、観光地としてやっていくことを決めたんやから、民宿だけ、ホテルは建てるな、発展するな、では、観光地として生きていけない。民宿でぼろい旅を楽しいと思うのは、私を含め、一部のマイノリティーだけやと思う。(実際私には沖縄の安宿はどこも贅沢に感じたけど。布団有るし、お湯も出るし。)発展させたい沖縄の人間と、素朴なままであってほしいよその人間。どっちもわかるけど、決めるのは沖縄で生きてる人たちだから、多分発展していくんやろな~。

 そんなことを考えてたら先日、オーストラリアに留学中のともだち、☆のブログに気になる話があった。☆のblog        自分たちで観光業を進めてきた沖縄の人たちと、外からの力で自分たちの土地を無理矢理観光地にされてしまったアボリジニーとは、全然違うけど、自分たちの生まれた土地にぞくぞくとよそもんが入ってくる気持ちは、少なからず通じるところがあると思う。でもその気持ちを捨てて、生きていくため(お金のため)に観光地化を選んだ沖縄と、自分たちの土地(聖地やからまた違うかもやけど)を守ることに重きを置いてるアボリジニー。理想はアボリジニー、でも
現実はそうは行かないってかんじかな。
 なんかよくわからんままつれつれ書いたけど、沖縄に行って、そういう悲しさを感じたという話です結局。
 ネパールの山村の生活(観光地ではないけども)を直前までしてきた私にとって、沖縄は想像より人工的で、文明化してた。これからどんな風に変わっていくとしても、それをゆっくり見守っていきたいな~と思った。という事です。
 
 いつも以上にまとまらんけど、明日早いしもう寝よう。 

 

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たびそら

ネパールネパールで、ネット上を旅してたら、

たびそらっていうページにたどり着いた。

旅写真家の三井昌志さんという方のHP。

すごく良いから、興味のある人は見てみて。

絶対気に入るから。

すごく綺麗よ。

ネパールの山村の人びとの写真もいっぱいあるねんけど、

私が見てきたネパールと近いから、すっごいよかった。

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ネパール 10 ~あとがき笑~

さて、最終回を迎えようとしているネパール日記。
ここで、書き忘れ、出し忘れをどんどん出していきたいと思います。

まずはネパールの男前から。

ネパールって、男前の国なんですよ。北欧系が好きな人もいるでしょうけど、濃い系が好きな人にはネパールおすすめ。メキシコ(ガエルとか)とかと通じるところがあります。

多分、チベット系(私らと同じモンゴロイド系)と、インド系(色は黒いけど顔立ちはイギリスやと思う。植民地やったし。)がいて、それがうまい具合に混ざった感じの人、こっちでいう「ハーフっぽい」ってやつですかね。それが男前なわけです。

では。道で見つけた男前たち。

Nepal2006_085_1  これは、トゥクトゥクで会った、Rajuの友達。窪塚ににてない?金持ちらしい。彼の父はバスとかトラックを50台持ってるらしい。バスorトラック一台持ってるだけで、結構いいレベルの家庭やのに。HIP HOPやわ~。(こっちでは、「今時」な感じの事をHIP HOPっていうみたい。笑 何でもかんでもHIP HOPやもん。私もHIP HOP GIRLって言われたもん。笑)


Nepal2006_138こっちは、ヘタウダのバスステーション近くの売店の子。まじかわいい。連れて帰りたかった~。




男前終了。笑

でも、ほんま日本より男前出現率多いから、それも楽しみにしてネパール行ってきてください。


後は、みなみが撮ったビデオから、私たちの友達RajuとSurajをご紹介。

①RajuとSuraj on the bed 

「nepal2006_207.avi」をダウンロード

Rajuは前髪がぴっちりやからな~。顔は男前なんやけどな~。毛もじゃの24歳。


②これは是非見て欲しい。かわいいSuraj。

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これはルンビニから帰る途中で、Surajがjollyっていうジュースを買ってきてんけど、実は1%アルコールが入ってて、それを悪ガキが嬉しそうに飲む、というところ。

そうそう、このSurajは、ヒーローになりたいらしい。ヒーローになりたいって初め聞いたときは、日曜の朝にやってるライダー的なヒーローかと思って、子供すぎるやろ!って思ったけど、ヒーローとは俳優のことみたい。なれたらいいね。

去年はネパールの映画を観て、今年はインド映画のkrrishを観に行った。マトリックスのパクリ的な…笑 でもみんなマトリックスを知らんねんもんな。

こっちの映画は三時間。みなみに言わせると編集が下手やから無駄なカットが多くて長くなるらしい。

ヒーローが出てきたり、活躍したりすると、拍手とか口笛とかで大盛り上がりやし、エッチなシーンとかがなくて、そういうシーンは踊りで表現されるから、ある意味おもしろい。
去年見たやつなんか、男女が出会って、踊ったら子供できとったから!笑 
あんな踊りない方がかっこええのにな。

でも映画はたった30ルピー(45円ほど)やから、気軽に見に行ける。

あと、ネパールにはニッキールっていうすげー国民的ヒーローがおるらしく、彼は七階から飛び降りても平気らしい。笑
それをマジでいうんやもん。みんな。CGやって言っても、違うっていうし、もうどっちも納得せんくて収拾つかんくなったから、じゃあニッキールのMOVIEみてみよう!ってことになって、CDR買って鑑賞会した。例の七階からジャンプの映画は手に入らんかったから、それとは違う、空手で復讐する話のやつやった。
けど…たったちょっとのジャンプもちゃんとしてなかった。笑 よくある、ジャンプ、カット、着地、的な編集で、げんなりした。笑
「あ、絶対こいつ七階から飛んだら足折る…」って思った。笑
彼はこれから世界中で有名になるらしい。

ちなみに、ハリウッド、ボリウッド、カリウッド、というのがあって、三大映画の都、的な感じとして常識らしい。
ボリウッド=インド映画
カリウッド=ネパール映画
だそうです。


では次。

③これもルンビニ。マニ車?っていうんかな?マントラ(お経みたいなもん?)が書かれてて、一回回すと一回お経を読んだ事になるねんて。右肩を向けてまわります。ま、どうでもいい動画。

「nepal2006_204.avi」をダウンロード


④これも私とみなみしか分からんであろう鈴木サンの動画。

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鈴木サンは、みなみが持っていったバルーン(よくピエロとかが犬とか作るやつ)の切れ端でSurajが作った人形。みなみが命名。ネパールで「su」は、goodという意味だそうで、「su」から始まる名前にしたかったらしい。以外とSurajの発音が良いのがおもしろい。




⑤最後に、ネパールの現実を。

「nepal2006_201.avi」をダウンロード

カトマンズからヘタウダへ行く時の路上にて。子供たちは何やら紙を持ってて、見せてくるんやけど、私らは読めんし、何か祈りの言葉でも書いてて、それと引き替えにお金をくれっていうんかなって思ってたら、後から聞いたら、その紙には自分の家庭がどれだけ貧しいか(例えばお父さんが病気で…とか)が書いてあって、だからお金をくださいってことらしい。

こういう時、どうしたらいいんかいっつも困る。ガイドブックとかには、「あげるな」って書いてある。自立できんくなるからって。言えばもらえると思うからって。だから私らも無視しててん。

けど、Rajuとかは、自分もまじお金ないのに、あげたりするねん。これはネパール人の考えってかヒンドゥーの考えかと思うねんけど、「すべてみんなのもん。」って思ってるからやと思う。

例えば、水とかジュースとか買っても、みんなで飲むし、「私の」とか「俺の」っていうんじゃなくて、みんなで分け合おうっていう感覚が強いみたい。

だから、Rajuがお金を分けてあげてるのを見て、私らなんかRajuよりもっともっとお金持ってるのに、分けてあげないのはどうかな~って思うし、でもそれがネパールの発展を邪魔したらどうしようとか思って、悩むんやな。ルンビニでは何回か渡したかな。

Nepal2006_075 でも、こんな子もおった。
この子は一日目のカトマンズで会った子。
昼間にタメルで会って、てかついてきて、自分の書いた絵とか塗り絵をみせながら、「MILKが必要なんです。お金じゃない。そこの店でMILKを買ってください。」って感じでずっと言ってた。
私らは「No」って言って逃げたけど、「やっぱかわいそうやな。ほんまにMILK必要みたいやったし。今度会ったら買ってあげよか。」って言ってた。そしたら夕方ごろほんまにまた会ってん。そしたらチョコケーキ食べてた。「あーケーキたべてるやん!MILKいらんやん。買えるや~ん。」とか言ったら、「えへへ」って笑ってた。笑 
そんなもんなんやなって分かった。

この写真は、その日の夜会った時。もうお互い「あ~。笑」って感じで、なんかうち解けた。

これが現実かも。

最後に帰る時にカトマンズに行った時も会った。毎日ずーっといるんかな。お金がないのは事実なんやろな。


というところで、ネパールの旅日記はこれでおしまいにしときます。

色んな問題を抱えているネパールやけど、人は優しいし、ほんま素晴らしい国やと思う。
たくさんの人がネパールに興味を持って、ネパールに行って、それによってちょっとでもネパールが発展したらいいな~と思います。

また行きます。

ナマステ(人’▼’)

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ネパール 9 ~お別れ~

カトマンズから関空へのフライトが、9日の23時ごろやったから、8日の朝にヘタウダを出て、夕方カトマンズ入りしようという事になった。

だからみんなと最後の写真。
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左から
①Ananda、私、カマル(建築士。去年ボランティアに参加してた。みなみ父に似てる?とみなみは言う。ちょい似。)
②私、カマル、みなみ、Ram
③Anandaファミリー。
④Anandaママと妹。超いい子。


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これはSurajの家やから、ほとんどSuraj家の人。プラス近所の子ら。
左から五番目の三人の写真の真ん中、前も出たけどSudipっていう男の子やけど、ほんまかわいいな~。
一番右か下は、おじいちゃんとおばあちゃん。
このおばあちゃんは、去年のティージ(ティーズかな)の沐浴の時、大勢でトラックの運転席に詰め込まれていってんけど、よっぽど嬉しかったんか、奇声を発して暴れ回っててん。笑 狭いのに。
私ら的には「こえ~何このおばあちゃん…近づかんとこ。」って感じやってんけど、後でSurajのおばあちゃんと知った時にはなんやら私らの間に微妙な空気が流れた。笑

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左は、去年ティージで一緒に踊った人。お別れのとき、花をくれた。それはお花屋さんで買ったとかそんなたいそうな花じゃなくて、道ばたに咲いてる花やねんけど、すっごいうれしくて、今も押し花にしておいてある。

右の赤い服は、カピルっていって、Rajuの親戚。やせました。後は、この時初めて会った人たち。暗闇で紹介されたから(電灯なんてないんだよ!まじで月明かりだけなのよ!その代わり星は、日本の田舎の6倍は見える。)、写真見てはじめて顔知った。笑

ネパールは、(カトマンズのような都会とこのPARKみたいな田舎じゃまた全然違うけど)人間が生きてるって感じるから好き。

よく停電するし(大体毎週火曜の7時ごろから9時ごろまでは停電やって。水のタンクに水を送るのに電力がいるから。)、お湯も出ないけど、だからこそ普段の生活のありがたさを実感できて、生きてること自体に感謝出来る気がする。

それに、停電の時は真っ暗な中、星を見たり蛍をみたりして、何か心に余裕が生まれるように感じる。実際去年ネパール行って帰ってきてから、心に余裕が生まれた気がする。「まあええやん。」って思う事が増えた。笑

あんまりすることがないからって言うのもあるけど、ネパールの人は人生とはとか、愛とは、とか、何か哲学的な話をよくする。私たちはあまりそんなこと深く考えたことがないら、愛ってなんだと思う?って聞かれても、あんまり答えられないけど、彼らはちゃんと自分の言葉で人生や愛を語れるから、すごく尊敬するし、話してて楽しいなって思う。
自分の国のこととかちゃんと考えてるし、(日本は考える必要がないからいいんだよ。ネパールは考える必要があるから考えるんだ。っていってたけど。)日本の若者よりちゃんとした人が多いと思う。
例え上手やし。

私のブログのサブタイトルにしたけど、(変えてん。知ってた?「リコのお勉強」やったけど、全然お勉強になること書いてないから、やめた。今の方がお気に入り。)

If you hit me with a stone, I would hit you with a flower.

っていうのはRajuの名言。かっこい~☆仏並の優しさですな。


で、前にも書いたけど、ネパールは今歴史的な転換期で、今?ちょっと前?にマオイストと政府の話し合いがあって、もうすぐ国民による選挙みたいなんがあるらしい。いっぱいポスターが貼ってあった。

私、マオイストってテロリスト的な感じかと思っててん。(だって覆面してるし。でもこれ、砂埃対策なのです。カトマンズとかみんなテロリストみたいやから。笑)
でも、多分違う。国を良くしていこうとする人たちのデモに近い感じやと思う。だって、マオイストって、みんなインテリらしいよ。たくさんの事勉強した後やからこそ、「変えなきゃ」って思う気持ちが強いんちゃうかな。マオイストのトップの人は、右手と左手で別々の教科のテスト受けれるねんて(笑)。(話それたけど)まあ、だからって人を殺すのは間違ってるけど、それだけ必死やってことちゃうかな。
ネパールには仕事がない。バイトとかそんなんもない。だから生きていくのにみんな必死やねん。いっぱい他の国から援助もしてもらうけど、全部国(王様?)がとっていくねんて。だから貧しいねんて。

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多分もうすぐネパールは民主制になる。これでネパールの人々の暮らしがちょっとでも豊かになればいいのにな。マオイストたちは、ネパールをスイスみたいにしたいねんて。

がんばれネパール!でも良いところはそのままでいてください。

ナマステ(人’▼’)

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ネパール 8 ~ヘタウダの寺(マナカマナ?)またしても山~

次の日、Rajuの強いすすめで、ヘタウダの寺に行くことになった。

私は昨日のチトワンで疲れ果てていて、頭痛と腹痛(どっちも人生で3回ぐらいしかなったことない)で体調悪かったけど、折角なのでがんばって行った。

それが間違いやった。。。
無理はするもんじゃない。絶対。今後私は一生無理をしないで生きていこう。ダメ人間と呼ばれても。。。

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左から二番目は、みなみ監督。
めっちゃ高い事を感じてください。

もうしんどすぎて道中写真とか撮ってない。

右の二つは扉の装飾。
一番右なんか花やで~笑 きも~笑 実際花の精とかおったらこんなんかもしれん。笑

そして降りる最中から、頭痛腹痛筋肉痛に加え、寒気を感じ始め、だるくなり、帰る頃には発熱し出したのでありました。

みんなに看病され、朝を迎え、薬を飲むためにバナナを食べたいというと、それを聞きつけたSurajのお母さんが、「バナナ食べちゃダメ。」とわざわざ言いに来てくれた。バナナは熱を上げるそうだ。でも私らは日本では大丈夫といって、食べた。それで熱がつづいたんかな。
中南米の文化の授業で、物事はすべて「熱い」と「冷たい」に分かれてて、これは儀式や治療にすごい重要なことなんやけど、確かバナナは熱い食べ物やったな。やからかな。

この日から4日間ほど毎晩熱を出します。ご迷惑おかけしましたみなみさん。

ナマステ(人;m;)

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ネパール 7 ~チトワン(モウラカリ)~

Surajの従兄弟、Sumanはチトワンに住んでいる。

私が会った時はたまたまティージだからお母さんとSurajんちに来てたみたい。
チトワンに帰るとき、チトワンに遊びに来てねって言ってたから、私はルンビニの帰りに寄ったらちょうどいいかなって思っててんけど、行けなかった。

でもやっぱり約束は約束やし、せっかくのお誘いなので、改めて行くことにした。
またまたみなみは面倒くさいから行かんといって、Rajuとお留守番。
でもRajuはずっとPARKの「寄り合い兼カードゲームの会」に出席してたから、みなみはずっと暇やったらしい。Anandaが相手してくれたみたいやけど。さすがジェントルマンAnanda。

バスで一時間半ぐらいかな。チトワン到着。
チトワンは、去年も行った。チトワン国立公園に行ったから。自然のジャングルがあんねんよ。そんで、象にのって、ジャングルを探検するねん。象の首の所にも乗らしてもらって、操縦?させてもらってうれしかったな~。

Sumanの家は、メイン通りに面してて、良いおうちだった。おじさんの家らしい。
どこの家もそうやけど、すっごい家族多い。おじいちゃんおばあちゃんお父さんお母さん兄弟、おじさんおばさん甥、姪とか。なんやらかんやら多い。やから紹介されても何がなんだかややこしくって覚えられんのよね~。
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これはSumanのおばさんとその子供かな。Minaっていうねんて。やからみなみって名前は覚えやすいらしい。
赤ちゃんのこと、バブーって言うねん。笑






一通り紹介が済んで、ランチいただいた。おいしかった。おなかいっぱいになった。

ちょっと一休みにテレビ見た。日本でも時々深夜でやってるらしい、アメリカ?のプロレス。何かパフォーマンスがしつこいやつ。笑
TVはPANASONICやった。これ日本のやでって言ったら、ドバイで買ったけど。って。ドバイって…すげー。。

一休みの後は、私とSurajとSumanと、Sumanのおじさん(て言っても24、5)で、ナラヤンガートの方の、モウラカリ寺院ってとこに向かって出発した。
途中、知らないネパール人に、「さいか」って人と勘違いされた。危うく感動の再会をしてしまうとこだった。

モウラカリは、すっごい山の上だった。階段をずーっと登るねんけど、12:30ごろ登り初めて、降りたら17:00やった。死んだ。
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下の方に小さなお寺があって、そこでまずお祈りをして、ティカ(おでこに付ける赤いやつ)と、花をもらった。やから耳に付けたら、南国気分になった。花は、大体耳の後ろに入れたり、頭に乗せたりするみたい。

この写真の時はまだ余裕があるな。



もう、魂が抜けていきよった。

やっと着いたけど、滞在時間15分ぐらいやった…。達成感どころじゃなかった。もう朦朧としてたな。Nepal2006_059
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降りる途中、クジャク(雌)がおった。飼われてた。初めてクジャクペットにしてる人見たよ。
やから抱かせてもらった。今思えばコレで私お腹痛くなったんかもしれん。その後手洗わずに何か揚げ物食べたもん。鳥インフルエンザや。
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それで、もうこれ以降はただもくもくと下っていった。帰りのバスも無言…Surajのずうずうしさににむかついたんもあったけど。

途中で、バンに乗ってるお客さんが私らだけになって、お客がいっぱいにならな出発できんらしく、少しの間待った。でも誰も見つからなかったようで、私らはバンの運転手さんが手配した違うバスに乗り換えさせられて、ヘタウダへと帰った。六時には着いたかな。

かなりやばい一日でした。
ナマステ(人’m’;)

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ネパール 6 ~ヤクトゥンバ~

Surajが、ヤクトゥンバに行こう!といいだした。

ヤクトゥンバとは、超ローカルスポットで、ただ小さいお寺があって、近くに人のアメリカンテイストの別荘(ほとんど人は住んでない)と、そのでかい芝生の庭があるところ。

みなみとRajuは、面倒くさいから行かないといって、お留守番してた。
だから私とSurajとRamで、茂みをかき分けながらヤクトゥンバに向かった。

Nepal2006_064 はじめて吊り橋を渡って怖かった。




Nepal2006_020お寺のおじさん。




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豪邸の庭。
ヤクトゥンバには、特に何もなかった。
ただ芝生でごろごろして、お話をする場所。
いいところだった。

Surajはあんまり英語が分からんから寝てたけど、私はRamと、いろんな話をした。中国と韓国と日本についてとか笑


それだけ。ただそれだけの日。ネパールの毎日ってこんなの。遊びに行くって言ったらお寺やし、日本みたいに色んな娯楽がない。でもただみんなが集まって話してるだけで毎日が楽しい。そんな所。

ナマステ(人’▼’)

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ネパール 5 ~ルンビニ~

ルンビニは、ブッダの生まれた場所で、世界遺産に指定されてます。

私たちは、ポカラという観光地(ヒマラヤが見えたりと、リラックスリゾートってイメージ。)に行こうかと思ってたんやけど、Rajuが、ルンビニの方がいいんちゃうかって言って、ルンビニにした。でもルンビニにしてホンマ良かった。ポカラなんて私らの行く所じゃないわ。65歳ぐらいになってからでええわ。


というわけで、これまた7~8時間かけてバスで行った。もしかしたらマオイストによるストライキがあるかもしれんから、行けるか分からんって感じやったけど、ルートを変えたら大丈夫やった。

ヘタウダ~ナラヤンガート~ルンビニという感じで。

今度はマイクロバス。
基本やけど、こっちのバスはエアコンとかなくて、窓を開けてるかんじ。やっぱ暑いけど、砂埃さえ大丈夫やったら余裕。私はハードコンタクトやから、この日に限らず結構悩まされたな。泣きっぱなし。道が舗装されてないから、煙もくもくやねんな。


ルンビニはインドにかなり近いこともあり、何か雰囲気が違った。もうインド人系ばっかで、何かちょっと怖かった。私らにはネパールがちょうどええな。って頷き合った。

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別にどうでもええけど、行く途中に見た、トラックの荷台に詰め込まれている学生たち。楽しそう。




Nepal2006_minami_016 こんなのが見えたりすると、あ~ルンビニきた~って思った。





Rajuはルンビニ三回目ぐらいで、いつも使うホテル(ホテルというのもホテルに悪い。宿。)があるそうやから、そこに泊まることにした。一部屋200ルピー。300円ぐらいやね。
でもここ、一部屋はシャワーとトイレ付いてたけど、一部屋は共同シャワー、トイレやし、掛け布団ないし、なんやら汚かった。

だから次の日はもっといいところがいいって言って、一部屋400ルピーのホテルにグレードアップした。ここはまあ良かった。

ついた日に、Maya Devi Temple (マヤデヴィは釈迦のお母さんね。)にちょっと行ったけど、もう閉まりかけてて、ちょろっとだけ見て回った。

この日はモモ食べたっけ。ペプシと。
モモって言うのはチベット料理の蒸し餃子みたいなもんで、まじ皮が厚くてうまい。大好き。
74 こんなの。勝手に画像もらってきたけど。
中身は、大体ベジタブルか、バッファロー(水牛?)か、チキンから選ぶかな。安くて10個で25ルピーぐらいやったかな。高いとこは100ルピーとか取るけど。


私ら日本人ってさ、色々食べたいやん。もし昼親子丼で、夜も親子丼ってなったら、え~まじかよ~ってなるやん。でもネパール人は毎日(朝はTeaだけとして、)昼、夜とダルバーとで飽きへんねんな。てかむしろ毎日ダルバートがいいらしい。だって、何が食べたい?って聞いたら自信満々な感じで「(もちろん)ダルバート!」っていうもん。不思議やな~。

ちなみにネパールの主食、ダルバートですが、
ダル=汁 と、 バート=ごはん に、ほとんど タルカリ=野菜を辛く煮た感じのやつ が付いてるもの。 それに、アッチャールっていう漬け物的存在が乗ったりするけど、それをごちゃ混ぜにして食べます。

P1614 はっきり言って、飽きる。




で、この日は早く寝た。

次の日、昼頃からホテル移動して、そこでお昼食べた。多分チョウメン食べたな。
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こんなの。焼きそばやな。



そんで、リクシャでお寺いっぱいまわった。
リクシャとは、人力車のようなもの。自転車で引っ張る。
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こんなの。



何か、中国寺とか韓国寺とか、ドイツ寺もあったしもちろん日本寺も(建設中やったけど)、アメリカ寺も(建設中?)あったりで、何か世界中の国の寺があった。(正しくは、作ろうとしていた。観光客を呼ぶためかな。)それを見て回った。

その国の人が設計するんかな。そうじゃなかったら意味分からんな。でも多分勝手にしてるんやろな笑

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中国寺。








それから、Maya Devi Temple に行った。
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左から
①ブッダ(シッダールタというべきか。)の生まれたところ。
②みなみとRajuがのぞき込んでる所に、ブッダのfoot printがある。(暗くて見えんかった)
③アショーカ王の柱
④マヤ婦人が、ブッダを出産する前に沐浴して体を清め、出産後、産湯に使ったとされる池。



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左から
①その池の近くにある、大きな菩提樹。私、「ここが世界の中心か~(’▼’*)」とか言って感慨にふけってたけど、違った。ただブッダが何年かこの木下で生活してただけやった。でも、WORLD PEACEを願っといた。
②同じく。オレンジの服の人は仏教徒の方。ずっと座ってた。祭壇があって、お供えとかしてあった。リスがいっぱいおった。
④スリランカから来てたおじさん。これ傘やねんて~。バナナの葉っぱでつくってるねんて。折り畳み式です。
⑤貸してもらった♪

すっごいこの木最高やった。リラックス。ブッダはここで何を考えてたんやろう。とか、こんな景色を見てたんやな~。とか考えながら、2,3時間ぼーっとしてた。

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左から
①何やったっけ。とりあえずSurajが大好き大興奮なやつ。
②一つずつ火をつけた。一つ5ルピーのdonation.
OH MANI PADME HUM(チベット語のお祈り)
③ストゥーパに描かれてるこの目は、ブッダの目やねんけど、やる気ないのがあった。笑
④天上天下唯我独尊。でもこのブッダノリノリやったから私らもノリノリ。


こんなところで観光を終え、ホテルへ帰る。

ルンビニ行って良かった。ナマステ(人’▼’)

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ネパール 4 ~カトマンズからヘタウダへ~

私たちは去年、国際ワークキャンプのNICEという団体から、ボランティアとしてこのネパールにやってきた。

場所はヘタウダ(Hetauda)という、カトマンズから南に地図でほんのちょっと行った所。

実際は、バスで6~7時間だけど。

私たちの去年の仕事は、ボランティアハウスの建築。まだボランティアに来る人が少なかったこともあり、ボランティアが泊まる場所がなかったのです。
だから私たちは、民家の一間を間借りして(もちろん寝袋で)ワークキャンプをしていました。

2005nepal_035 2005nepal_034 その時お世話になったキャンプリーダーや、村の人たちと仲良くなり、今回はまたこのHetaudaにあるMartyrs Memorial Park (の中?にある村)に行く予定でネパールに行った。






カトマンズを七時にバス(十人乗りぐらいのバン)で出発するはずが、hetaudaに行く乗客が集まらないためなかなか出発できない。結局私らは6:30ごろにバスに乗って、出発したのが10:00ごろかな。でもこれよくあること。

しかもフロントガラス割れてます。Nepal2006_minami_007 (一番左)
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人めっちゃ詰め込まれるから、知らん人と密着しなあかんから、かなり苦痛。慣れたけど。「nepal2006_192.avi」をダウンロード ←動画。みれるかな。



Nepal2006_081ネパールは山の国(念のため、ヒマラヤの国。サガルマータ。)やから、ホンマ山、山。くねくねと山を登ったり降りたり、雲の中(私は雲やと思った。霧かも。)を走ったり。



バスの中で、ジュースとかバナナとか買ってくれたり、休憩でお昼おごってくれたりしたダルマさんに感謝。Nepal2006_080

でも、「カトマンズに戻る時電話して。一緒に帰ろう。」って言ってくれとったけど、怖くなって電話せず。ごめんなさい。



hetaudaに4時頃着いて、トゥクトゥクでPARKの上まで行った。2005nepal_054

これがトゥクトゥク。三輪車。運転手と、もう一人おって、乗客が降りるときとか乗るとき、止めるために車体をバンバンたたく。相乗りやからめっちゃ安い。hetaudaからPARK下まで、10分ぐらいで7ルピーぐらい。でもこの時は二人貸し切りやったから、二人で150ルピー払った。


トゥクトゥクで懐かしい道を登っていくと、顔を知ってる男の子とかが気づいて、後ろから手を振りながら走ってついてきてくれて、何か嬉しかった。

キャンプリーダーだったRajuの家に着くと、もう待ってた。感動と喜びの再会。

Rajuは、おばあちゃんと二人暮らし。私らのためにもう一つベッドを作ってくれていた。寝袋いらんかった…。

おばあちゃんも元気そう。

日本から持っていった雪駄のおみやげとかを開きつつ、和んでると、Surajが従兄弟のSumanを連れてやってきた。感動の再会。私がキャーキャー言ってただけやけど。おませさんやからネックレスをプレゼントした。400円の…。


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Surajは、ワークキャンプに全然関係ない、ただの村の子で、去年のティージの時に一緒に踊ってから仲良くなった子。その時初めて男に色気を感じたのでした。去年は16歳やって、今年は17歳になってた。
(左からSuman、私、Suraj)(寝てるのがRaju)


もうこのころからカレンダーも見ずに(だって飾ってあるのネパリカレンダーやから暦違うし読めんし。)過ごしたから、一日一日覚えてないけど、たくさんの人と再会した。

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Rajuのおばあちゃんと、おばさん?かな。
「nepal2006_193.avi」をダウンロード ←何気ない動画。




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左から
①Surajの家族。
②妹二人と甥?(一番後ろが甥。男の子。かわいい。)
③withボシャンテ
④去年のボシャンテ。髪長い方がいいのに~。



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左から
①ここが去年私らが泊まってた家。タパ家。一番左がタパパパで、みなみ、近所の夫婦、私。
②タパ家の息子たち、AjayとBijay。二人ともめっちゃかわいいし、賢くて英語うまいのです。弟のBijayはお年頃になったのかちょっとshyになってたけど。
③近所の子ら。
④AjayとBijayが最近空手大会で2位と三位になった。hetaudaで開かれた大会は、200人ぐらい参加して、何の練習もせずに行ったのに、2位と3位になったらしい。2年ぐらい空手習ってたみたい。


Nepal2006_142 これは左がAnandaで、右がRam。
Anandaは20歳で、大学で英語を勉強してる。すっごいいい意味でインテリジェントで、話は機転が利いて面白いし、哲学的な話し方をするし、頭がいいのがにじみ出てるジェントルマン。
Ramは、21かな。Anandaの親戚で、彼もキャンプリーダーとかやったことある人。英語しゃべる。わかりにくいけど男前。river companyに勤めたいんやって。




後、私らが行った何日か後に、ワークキャンプのボランティアの人らが来た。三人のドイツ人と一人の日本人の女の子。
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このバックに写ってるのが、ボランティアハウス。外観は完成して、内装をしてるとこみたい。




Nepal2006_057後ろがSusan。横は分からない。
Susanは17歳でめっちゃおもろい。英語しゃべれるけどあんましゃべってくれず、ずっとネパリやけど、行動、しゃべり方全部がコメディアン。大好き。笑


てなかんじで村人たちと再会し、ほとんどはのほほーんと過ごしてました。

お出かけは、ルンビニと、チトワンと、ヘタウダのお寺に行ったけど、それはまた次回。

ナマステ(人’▼’)

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ネパール 3 ~パシュパティナート~

ネパールで初めての朝。

かばんに入れてた機内食のパンをかじる。

フロントに降りると昨日の空港でつかまったラジュさんがおった。いらんというのに「チャ」(Tea のこと。「チャイ」っていう人も「チャ」っていう人もおった。砂糖をたーっぷり入れる。もしくは既に入っている。甘くておいしい。普通はミルクティーやけど、この人の出してくれるのはいつもblack tea。私はmilk teaがすきなのに。)出してくれた。

一緒に歩いてオフィスへ。またしても違う人が「チャ?」と。もういいです。プギョ。といっても、出てきた。さっき一緒に飲んだから止めてよラジュさんよ。

で、社長のビノさん(日本語結構しゃべれる)が、「日本語しゃべれるガイドをつけるね。僕はあんまりしゃべれないから、僕よりうまい奴をつけるよ。」といって連れてきたのが、昨日「こいつは俺の日本語の弟子。今勉強中。」的な事を言ってたラマ系の男性。
「こいつかよ。」とみなみと顔を見合わした笑 

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左が社長のビノさん。右はガイドのサガル(海っていう意味らしい)さん。

Nepal2006_069 よく言うとブラピ似の運転手さんとサガルと共に、一年ぶりのパシュパティナートに向かう。

パシュパティナート(Pashupatinath)は、シヴァ神を祭るネパール最大のヒンドゥー教寺院です。 パグマティ川に隣接してて、そこには火葬場がいくつか(10カ所以上かな)あって、そこで焼かれて、そのまま河に流される所。この河は、インドのガンジス川の上流にあります。ネパールのヒンドゥー教徒たちはみんなここで死にたいと思ってるし、ここで火葬されてパグマティ河に流されたら幸せだな~と思っているそうです。

写真
 一番左:パシュパティナート外観
 左から二番目:黄色い入り口が、本堂の入り口。ヒンドゥー教徒以外は入れない。
 三番目:隣接するホスピス
 四番目:人が焼かれてる所。
 右から二番目:人が焼かれている隣で泳ぐ子供たち。(この日はティージっていう、女性による男性の繁栄のための祭りの最後の日だったから、その関係でお祭りムードで泳いでたのかも。去年はこんなのなかった。)
 一番右:これがティージの様子。あちこちでやってた。ティージでは、女性たちが断食して、サリーを着て実家の近くの寺院にお参りをして(だからこのパシュパティは大人気、大混雑。)、歌って踊ってを夜中とかまでやって、次の朝沐浴をして、こんな儀式をして、終わり。私らも去年やった。かなり楽しかったな~。
 
 
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ここは、亡くなった人の家族や、参拝者たち、観光客など、常に人がたくさん。
すっごく私にとって興味深い場所やから、今年も行って来た。
 ここは24時間365日開いていて、常に誰かが火葬されてる。
去年来たときも、ちょうどホスピスから人が運び出されて、火葬された。
腕がだらんってなってて、全身が紫色やった。奥さんが叫びながら号泣してて、周りの家族がなだめてた。
最終的に亡くなったかどうかは家族が判断するらしい。火葬場の隣の斜めの所に寝かされて、「はい、いいです」ってなったら、木を組んで燃やされる。完全に燃えるまでの三時間ほど、家族は泣きながら、あるいは多くの場合静かに待っている。
たくさんの人に見学されながら。写真とかビデオとか撮られながら。
嫌だろうな。めっちゃむかつくやろな。それでもここで火葬したいんかな。

去年のこの出来事は、私にとってかなりの衝撃で、重要なことやった。死ってこんなに身近なもんなんやなって思ったし、死ぬってなに?って考えたし、すっごいすっごい興味がわいた。やから私の卒論のテーマは「世界の民族の死生観」。

それで、今年はいっぱい質問しようと思って楽しみにしてたのに、サガルは実は仏教徒でした。そうやんね。ラマやもんね。ちくしょうビノめ。あんま日本語も英語もしゃべれん仏教徒をパシュパティガイドによこしやがって。

彼はほんとに正直で、「こんな汚い河に流すなんてcrazyだ。」といってた。笑
ガイドがそんなこというなよ。

ネパールにはいろんな宗教があって、特にヒンドゥーとチベット仏教は仲良く共存してる、らしかった。でも、それはヒンドゥー側だけで、仏教側はそんなこともなかったのか。「ヒンドゥーはbad behavior」って文句言ってたし。多分、寛容な宗教のヒンドゥーは仏教に寛容やけど、仏教の方はそうでもないんかも。この人だけかもしれんけど。


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写真の一番右、途中。笑
壁画がだーって並んでて、端っこの一個だけ未完成やったから聞くと、忙しいからまだ完成してないらしい。確か去年もやったぞ。適当すぎるぜネパール。笑

ここにはたくさんの行者(サドゥ)がいる。見た目が違うからすぐ分かる。去年も今年も、寝てたり座ってたり。しかも写真を撮るのにお金を要求する。これは何の修行だ?

まあ、去年取り損ねたから写真とってみた。写ってないけど、サングラスかけてる奴もいる。なんでもありか。
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聞くところによると半分はホンモノのサドゥだけど、半分は観光用の偽物らしい。私的に8割は偽物だと思う。ただの色塗ったホームレスやんね。
あ、動画のせます。一番左がサングラスサドゥ。「nepal2006_189.avi」をダウンロード



でも、mixiにもちょっと書いたけど、Milk Babaっていう、ミルクしか飲まないサドゥがおって、部屋もあって、その人はちょっとすごいと思ってた。
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左の写真がMilk Babaやねんけど、今回彼は海外遠征でアメリカに招待されてて不在で、彼の弟子しかおらんかった。

彼の弟子は(多分Milk Babaも?)インド人で、小さいときから弟子になるって決めてたらしい。なんで?って聞いたら、神が心に訴えたかららしい。

よく聞くと、Milk Babaはミルク以外にも水とかフルーツとか口にするらしい。なんじゃそら。ミルクだけにしとけよ。

部屋に入れてくれて、写真とか見せてくれて、なんとMilk Babaのミルクをごちそうになった。ちょいきたないコップに注がれたミルク…酸っぱかった~。ちょっと飲めんかった。。でも全部飲んだけど。貴重な体験でした。酸っぱいって事は腐ってるんかな。ま、おなかも壊さんかったし大丈夫◎


今回はあんま何もわからんかったけど、Milk Babaのミルク飲めたしいっか。

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サドゥはこういうとこに住んでるらしい。サガルによるとサドゥ以外も住んでるらしい。家賃いらんからやって。笑 ほんまか~?


この後オフィスで質問会、勉強会させてくれるって約束してたから、質問は持って帰った。

ビノさんがしてくれるって言ってたのに、やっぱ面倒になったのか、いきなりこの人に押しつけた。ウルミラさん。学生らしい。MY グル(先生)。Nepal2006_073

グルによると、今のeducatedな人間は、あまり生まれ変わりとか信じてないらしい。



※ヒンドゥーは、輪廻転生を信じているから、死んだらもう体はいらない。だってただの入れ物だから。生まれ変わるから墓も作らない。ただ、小さい子供が死んだときと、一番高い位のカーストは墓を作るらしい。なぜならば、子供は神様と同じ存在だから生まれ変わる必要はないし、一番高い位のカーストも、生まれ変わる必要がないからやって。(でもこれはウルミラさんはそんなん知らんっていってた。)

それに、燃やす木は、一つ5ルピーぐらいらしい。めっちゃ安いんや~。

そんくらいかな。新しく得られた情報は。

で、そこで仏教徒のサガルが来たから、ネパールの仏教徒は死んだらどうするんか、骨は残すんかって聞いたら、知らんって言われた。ボダナートっていうおっきい仏教寺院で火葬されるけど、ネパールの仏教徒は、30歳まではほとんどその葬儀?に行かんらしい。怖いから。笑 やからあんま知らんらしかった。

ウルミラさんは、日本の仏教では骨を残して、墓と仏壇に残すけど、それをどう思うかって聞いたら、びっくりしてたけど、いいんじゃない?っていってた。さすが寛容ヒンドゥー。気持ち悪いと思うかとおもってんけどな。

ま、そんなこんなで、dinnerいこうぜって言われて、行った。
ビノとサガルともう一人アミスってやつと、ウルミラさん(危険防止に私が誘った)と。
やはり少々危険やったけど、まあ余裕やった。おごりやったし。

アミスってやつは、何かアタックしてきて、最後ゲストハウスに帰った後も部屋に電話してきて、明日ヘタウダに行く前に電話して。って。せんかったけど。こえーよ。

この日はお湯出た。ナマステ(’▼’人)

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ネパール 2

そういえば、上海のトランジット?で、飛行機の中で2,3時間待ったんやけど、その時に、中国人男女入り交じり15~20人ぐらいがぺちゃくちゃしゃべりながら機内に乗り込んできて、ほうきとかで掃除し始めた。隙まくりやから全然汚れてないのに、20分ぐらいそうじしてた。笑 謎。無駄。しかもぜったいちりとりとか持ってなかったし。笑


で、まあ無事に、カトマンズのトリブヴァン国際空港に着いた。

そしたら関空から一緒に乗ってたネパール人家族の娘さんに声をかけられ、御飯一緒にとかホテル一緒にどう?…って言われたけど、空港から出てくるのが遅かったから、お先に黙って失礼した。

ネパールの空港はいつも、タクシーやホテル(ゲストハウス)の引きの人たちでわっさわっさなってて、乗客が降りると大騒ぎになります。

去年私はほいほい訳も分からず着いていきそうになり、一緒に行ったみなみに注意されたけど、今年はちゃーんと荷物も取られず、納得いったタクシー乗れた。

でも、私らは去年泊まったpilglim guest house に行こうと思っててんけど、やはりあっちも商売で、「僕のよく知ってるゲストハウスやけどここはどうか」的な感じでしわくちゃのパンフレット見せらられて、見てみたら結構良かったから、1部屋6ドルを5ドルにしてもらって、そこに連れて行ってもらうことにした。何割かもらう契約なんやろな~。


タクシーに乗りながら、プッププップ鳴りまくるクラクションの音とか、道のカオス度合いとかを眺めながら、あ~ネパールって感じ(^v^)(^v^)って二人で浸った。

途中、タメル(カトマンズの中心街)の地図あるかって聞かれて、ほしいかって言うから、ただなら欲しいって言ったら、俺のオフィスにあるからちょっと取ってくるって言われて、なぜか私らも行かされた。(今思うと危ないか?)

そしたらトレッキングの会社みたいで、いろいろ写真見せられて、トレッキングどう?的な話になったけど、面倒くさいし予定があるっていって断ったけど、しつこかった。

結局次の日のパシュパティナートのガイドだけお願いした。ガイドと車で500ルピー(750円)ぐらいやったっけ?日本語はなせるガイドつけてくれるらしかった。

そんで次の日の夜ごはん誘われて、行くことにした。私は別にいいやんって思ってたけど、相方みなみが危険やってずっと渋ってて、私のノリ勝ちみたいな感じで決めた。


私は去年も今年も、このみなみがおらんかったらネパールに行けてないと思う。グランドキャニオンも。考えが浅すぎて単純で軽率な私をいっつも正しい方向に導いてくれて、面倒みてくれる。方向感覚も完璧。逆に相方は、ナーバスになりやすくて財布のひもが堅くて(いい意味で)安全第一やから、自分で言うのもなんやけど、私とおることですっごくバランスとれてると思う。ほとんど私がお世話になってるけど。

そんなわけで、次の日の朝11時に約束をして、ゲストハウスに送ってもらった。

KANTIPUR GUEST HOUSE ? かな。

なんとTV付きだったんですね~びっくりです。しかも何かルームサービス的なもんもあったし。Bath roomもきれかったし。でもhot showerあるっていってたのに、でんかった。ま、これもネパールっぽいな(笑)とかいって、笑って済ました。

この日は晩ご飯は食べずやったけど、ぐっすり眠れました。

ナマステ(’▼’人)

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ネパール

ただいま。

一年ぶりのネパールから帰ってきました。

今回は二週間。もっと長くしとけば良かった↓最後の何日かかなり体調崩したけど(四日間ぐらいの熱と、腹痛と頭痛とダイアリア)、とりあえず無事です。

27日の11時頃に日本を出て、27日の夕方頃にカトマンズに着いたかな。多分。九時間ぐらい飛行機乗って、時差が3時間15分やから。

去年はタイ航空?やったけど、今回はロイヤルネパール航空にした。ちょい安いから。

ロイヤルネパールは、関空からだけ、週2便ぐらいやけど直行便があります。

去年はトランジットのためタイの空港で、外にも出られず、寒さをしのぐのに新聞紙にくるまって一晩(8~10時間ぐらい?)待ったな~。。 2005nepal_001_1

でも、ロイヤルネパールは噂通り(?)、恐ろしかったです。

噂では、基本的にネパリタイム、つまり適当。結構落ちる。機内食まずい。サービス最悪。などなど。

実際、ほんまぼろかった笑 

聞くところによると、ネパール航空は飛行機二機しか持ってないらしく、椅子もぼろいし、非常出口のドアがひわっとうし、ほんまびっくりやった。あ、もちろんテレビもラジオもないし、揺れるし、てか何より乗客がカオスやった。笑  立ち回る立ち話する席移動しまくるってかんじで。 私らも帰りは一人一列ずつ使って寝ころんでたけど。

ちなみにロイヤルネパールは喫煙席があるんですね~。一番後ろの三列ぐらい。まじみんな煙草吸うからびびったわ~。帰りなんか、煙草吸う人をガン見しまくった後、アテンダントさんに注意してもらおうと、こっそり言ったら、「あなたも吸いたいの?ん?」的な感じで一瞬怒りそうでした。でも、その後喫煙席だと教えてもらい、しょうがないのかどうなのか、なんだかモンモンしました。

でも、行きしは機内食おいしかったし、(帰りはまずかった)席隙隙やから好きに使えるし、まあよかったよ。

だからRoyal Nepal Airlines をよろしく!

ちなみにRoyal Nepal Airlines は、politicalな理由で、Royal がはずれて Nepal Airlinesになったとか。

これは、チトワンの近くのナラヤンガートで見た、元、王様の銅像。六ヶ月前のデモで壊されたらしい。半年遅れやけど、歴史的にとってもタイムリーな一枚。ネパール人の友達もおお~って言ってた。Nepal2006_091

ネパールは今大変です。転換期です。早くみんなが住みやすい国になればいいな。

では今回は飛行機の話だけで。ナマステ(’▼’人)

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